人は、決して逃れられない宿命というものを持っている。
さて、日本映画史に燦然と輝く「砂の器」も、「宿命」がテーマです。
砂の器 デジタルリマスター版
紹介しても多分見ないと思うので(笑)、軽くストーリーを説明しますと、
主人公の男は、「指揮者」として、富も名声も確立していた。美しいフィアンセもいた。
成功への道は、大きく開かれているものだと信じていた。
しかし男には、消したい、絶対に知られてはならない過去があった。
男は隠し続けた。
戦後の混乱に乗じ、新しい戸籍と名前を手に入れた。
しかし、ある日突然、主人公の素性を知っていた人物が男の前に現れる。
子どもの頃に世話になった人物から「本名」で名前を呼ばれた主人公は、秘密を隠すために、強硬手段に出る。
事件を刑事が執念で追及する。
男は、その時、必死に新曲「宿命」の作曲を手がけていた。
しかし、忍び寄る捜査の手…。
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というお話です。
人の一生とは、自らの宿命と火花を散らすドラマともいえないか。
生涯、隠し、逃げ続けるのか。
あるいは、正面から向き合い、乗り越えるのか。
大事なことは、勇気を出すこと。そして行動を起こすことだ。
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さて、病気とは、遅かれ早かれ人を襲うものだから、若いうちに罹るか歳を重ねてから戦うのか、どちらが幸不幸という問題でもないと思う。
たとえその時は気力が起こらなくとも、絶対に治すという強き一念を、心の奥深くに潜ませておくだけで、結果が大きく変わってくる。
一喜一憂していてはならない。
過剰に神経質になる必要もない。
今は、情報が溢れているから、それに左右される必要もない。
身体はたとえ受け身になろうとも、心は攻めて行くべきだ。
もちろん、医師の指示を守り、治療に取り組むことは大切だが、目標を「病気を治すこと」に設定すると、時に苦しくなる。
第一、人生のゴールはそんな所にはない。
自身の大きな目標達成のため、乗り越えなければならない「試練」だと割り切れば、単なる「障害物」でしかない。
結果として、「夢や目標に到達するための試練を準備してくれたんだ」「あの頃なくして今の自分はない」と語れるようになりたい。
だから、病気に振り回される必要もないし、嘆く必要もない。
成長のチャンスと捉えられるかどうか。大きな分かれ目だ。周囲の人間なら、気づかせてやりたい。
もし倒れる運命にあるのなら、僕は「夢」に向かって前のめりに倒れたい。
病気になると、症状との闘いの他に、家計・収入面などで、別の闘いもある。
しかし、僕の知る限りでは、日本は「国民皆保険制度」など(未納はダメだよ)、世界で最も福祉が充実している国の一つだ。
病気に罹ったことがなければ知らないと思うが、多くのフォローがある。
それでも厳しい現実が待ち受けているなら、自分で制度を変えればいい。
忙しければ、その思いを、代わりに受け継いで、実行してくれる人(代表)に託すのもいい。
ここは幸いにも、そういう民主主義の国だから。
逆にいえば、そういう「声」を聞いていくことも、人間として大事なことだと思う。
宿命に翻弄され続けるか、それとも打ち勝つか。
自分次第だと思う。
追伸 乗り越えたときの「風景」といったら、たまらないものがある。